型は模型(プラモデル)と同じ。

セミナー

今回のセミナーでは、「ちょいと避ける」というなんだかふざけた内容から始まりましたが、こんなことですら出来ていない、ということに皆さん気づいたでしょうか?

山﨑先生は、「自然にやりたくなる、本能に任せた動き」を強調していました。

皆さんは、型稽古を行うとき、先生の動き方をお手本として、そのまま真似をしてやっていると思います。

それで技が掛かれば問題ありません。

では、掛からなかった場合どうしましょうか?

例えば、先生はこうしているけれども、自分はこうした方が掛かりやすいという動きが、自分の中にあるかもしれません。

自分の中から出てくる自然な動きが一番大事ですし、それが一番やりやすいので、そこから技を考えていくことができます。

先生がやってるからという理由で、ただその形を真似していても、技は一向にできるようになりません。

よく「型通り動けば技は掛かる」という先生がいますが、これは非常に注意した方が良いです。

なぜなら、型は単なる模型であり、虚構だからです。

型は模型であるため、形は似ていても中身は自分で作っていかなければなりません。

例えば自動車のプラモデルがあったとして、もちろん形も似ていますしモーターをつけて電池で走らせることもできますが、しかしやはりプラモデルはプラモデルです。本物の自動車ではありません。

と言ったように、 本当の戦いと型とでは、これぐらいの差があり、全く別物だと思った方が良いです。

ですから型通り行ったところで 自分の中にその動きがあれば技はかかりますが、無い場合はやはり作り上げていくほかありません。

「型通り動けば技は掛かる」という考え方は、模型の自動車でもドライブ出来る、プラモデルの戦闘機でも実戦可能!と言っているようなものです。

山﨑先生は、これはよくある現象として「仮説である理論を盲信し、事実を無視する、という心情に支配されている」と説明しています。

型稽古とは、形を自分の中で再検討する過程であり、 技がうまくできた時には、翻って「型通りだった!」と再確認する、それが正しい順序だと思います。

盲目的にただひたすら型を繰り返しているだけでは、技は全く身につかないということです。

実戦を型にすることは帰納的ですが、 その逆で型から実際に使えるように自分で身につけていくことは演繹的です。

演繹ですから、どうしてそのような型になったのか?と常に考えて、技ができるよう持っていくしか方法はありません。

ですが、出来る動作というのは、自分の中にある自然な動作でしかないのです。

ですから、相手からの攻撃を自分がどのように反応するのか、それを確かめながら、型の動きとすり合わせていく作業が必要です。

型がどうしてそのような動きになってるのか考えつつも、自分の中にある自然な動きを使い、無ければ少しずつ育てていく、この両方の作業が型稽古です。

たくさんの事を教えて頂き、また、いろいろと考えさせられたセミナーでした。山崎先生、どうもありがとうございました。

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