丹田はそこまで重要か?

站椿・丹田

久しぶりに丹田関係の話です。

当会では、丹田を重視しませんし、站樁功(たんとうこう)をするなんて、もってのほかです。

太極拳をへたくそになりたい方は、どうぞ好きなだけ行ってください。

丹田に意識を集中したり、丹田中心で動こうとしたり、たぶんほとんどの太極拳教室では、こういったことを指導されていると思います。

言ってしまえば、これらの指導は全く必要ありません。

ほとんど丹田を意識することはありませんし、丹田中心で動こうともしていません。

結果として、丹田中心になることもありますが、意識していません。注意もしていません。

本来、陳氏太極拳は、初心者がやる武術ではなく、ある程度武術を経験してきた人が稽古するものです。

武術初心者がいきなり太極拳を習ったところで、かえって身につけるまでに時間が掛かると思います。

その一番の元凶が「丹田」という言葉かもしれません。

少なくとも、空手を5年くらいやっていれば、自然と身に付くものです。

陸上競技や、体操、野球選手やサッカー選手など、アスリートであれば、わざわざ丹田を意識することも無く、とても良い動作が出来ています。

意識しなくても丹田中心の動作になっている、とも言えますし、丹田中心ばかりが人間の動作ではないですし、丹田中心が全てにおいて良い、というわけでもありません。

武術界に置いては、なぜか「丹田至上主義」という考えが一般的であり、宗教的な信心を強要させられます。

私は、ここについては一切妥協しません。

間違いは間違い。

これをはっきりと言ってのける指導者って、私の師匠山﨑寛先生と、私しかいないのではないでしょうか。

丹田至上主義を続けますと、

・動作が遅くなる。動きが鈍くなる。身体が動かしづらくなる。

・打撃を捌けなくなる。もしくは間に合わなくなる。

・居つきやすくなる。

と、いろんな弊害が起こってきます。

これら全て、一言でまとめると、「動けなくなる」ということです。

丹田なんか意識せず、まずは動作に意識を集中し、その後、無意識化することが大事だと思います。

丹田に気を落とす、とか、気を周天させる、とか、なんだか皆さん、意識しすぎですね。

意識的に行っているということが、もう既に「稽古をしていない」ということの表れです。

稽古量が足りません。

圧倒的な稽古量の前には、そんな吹けば飛ぶような観念の稽古なんて、全く使いものになりません。

そんなはったりが利くのは、素人だけです。

結論としては、丹田は考える必要なし、です。

そんな暇があったら、もっと別の稽古しましょう。やることはたくさんありますから。

 

 

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