「気(氣)」について。

陳氏太極拳 套路 記事

太極拳では、「気(氣、以下『気』で統一)」について、何か特別なものとして説明されています。

「気」について言えば、身体を廻っているとか、「気」が出ているとか、身体を気で満たすとか、気を丹田に沈めるとか・・・、こんな感じです。

太極拳の套路を練習しているときにも、「気」が出ているかどうか、とか、「気」を運用しているか(?)に注力しているようです。

ようは、気功法と太極拳をごっちゃにしてしまっているところがあるように思われます。

他にも例を挙げると、ヨガと同一視、もしくはごっちゃまぜ、のような太極拳を嗜好しているところもあるようです。

ところで、「気」とはいったい何でしょうか?

ウィキペディアにいろいろと書いてありました。

気 - Wikipedia

上記ページの下の方に、「気の問題点」とあり、そこには、

各分野によって都合の良い解釈がされており、統一した概念がなく、曖昧な存在となっている。医学の分野に限っても、漢方における「気」と気功でいう「気」の間には大きな乖離がある。

凝固して可視的な物質という概念もあるが、数値化して測定することができなく、存在を科学的に証明できていない。

科学的手法で解析された学術論文が皆無であること。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

測定出来ず、学術論文も無く、科学的に証明されていない、という事です

日本人が「気」を論じる場合ですが、一般的な概念は「元気」とか「やる気」とかであれば、それこそ気持ちの問題なので定量は出来ません。これについてもウィキペディアの同ページ内に書いてあります。

日本語には気と言う言葉を使う表現がいくつかある。中国哲学の気の概念のうち、物の構成要素、素材としての意味の用法はほとんどなく、「元気」などの生命力、勢いの意味と、気分・意思の用法と、場の状況・雰囲気の意味の用法など、総じて精神面に関する用法が主である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

太極拳の套路を行うことで、「元気」や「やる気」が出てきたら、「気」が出た、と言うことでしょうか?ですが、この説明だと、「気」を運用するとか、体に気を廻らせるというのは意味がよくわからない感じです。

現代においても、「気」を物理的、科学的に定量することが出来ないということですから、本来なら説明することも、取り扱うことも無理だと言うことになります。

見えない、測定できない、定量化できないのであれば、説明不可能となってしまいます。

実体がなく、存在を確認できないものであれば、幽霊と同じです。

太極拳を教える先生にしてみれば、しめたものです。

わけのわからないことをいくら言っても、それが間違いかどうかは証明出来ませんので、いくらでも生徒をだますことが出来ます。

そもそも武術は、物理的に相手に影響を及ぼす範囲のものですから、形而上のことをいくら充実させたところで、「強くなった気でいるだけ」というトンでもないニセ武術家が出来上がるだけです。

そういった先生達は、太極拳の動作ひとつひとつがどんな意味を持っているか、習っているのでしょうか?

太極拳は気が大事、という偉い先生たちに、こういった質問をいろいろとしてみたいものです。

私の師匠の山﨑寛先生は、私が持っている全ての疑問に答え、実技で実際に証明もして下さいます。

太極拳から武術を取ったら、健康ですら無くなります。

武術としての動作だからこそ、健康になるための要素が入っているのだと、私は考えます。

意味も無く、ただ先生の真似をして、のらりくらりと太極拳を練習している人たちに問います。

「それはなぜそのようになっているか、分かっていますか?」

 

 

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