太極拳はスピリチュアル系ではない、という話。

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伊勢原教室の練習生との会話で、興味深い話が出ました。

西洋人にとって、太極拳はスピリチュアル系の要素がかなりある、ということです。

太極拳を行っていると、なにかワンダフルな能力を手に入れられる、と思っているようです。

それは「超能力」なのか、それとも「宇宙と繋がる一体感」か、はたまた「本当の自分を見つける」なのか・・・。

こういった間違った考えの一番の原因となっているものが「氣」ではないでしょうか。

太極拳と「氣」との関係。太極拳にとって「氣」は必要不可欠なもの、という観念が強いように思います。

太極拳の套路を行うと、「氣」が身体を廻るとか、「氣」のパワーを感じるとか、「氣」が出てくるようになるとかなんとか・・。

太極拳を習っていない人たちにとって、太極拳に「氣」は必要十分条件であると思われているかもしれませんが、実際は全く考える必要の無いことです。

また、呼吸法を必要以上に重要視する人も多いようです。

なにか特別な呼吸法によって、外界から「氣」を取り入れるとかなんとか・・・(?)。

呼吸によって、瞑想状態に入り、変性意識で太極拳の套路を行う、とでもいうのでしょうか。(変性意識に入っていること自体、既に武術ではありませんが・・・)

こういった考えのほとんど全てに共通することは、武術的な要素を全く考えず、スピリチュアルな何かを求めて太極拳を習っている、ということでしょう。

とまあそんな感じの話をしました。

東洋の神秘。というかなりアバウトな神格化の概念。それがイコール太極拳に存在し、自らも行えば、スピリチュアルな体験が出来る、という勘違い。

ですが、これは西洋人に限ったことではないと思います。

日本人の太極拳教師の中にも、太極拳は「氣」が大切、とか、太極拳は「氣」を使う、とか、全くわけの分からないことをいっている輩がいるようです。

「氣」なんて、目に見えませんし、主観的なものですから、指導者はなんとでも言えます。

太極拳と称する偽物を教え(実は本人は偽物という意識は無い)、誰にも客観視できない「氣」という非科学的なものを巧みに使い、生徒をだまして金を巻き上げる、といった商売が横行していると考えざるを得ません。

そういった太極拳教師のほとんどは、どれを見ても「フニャフニャ」度合いがかなり強いのが特徴です。

そして、アレが大事、コレが大事、と言っている割には、その動作がどのように技として相手に機能するか、全く説明しない(出来ない)のも特徴の一つです。なにしろ全ては「氣」ですから・・。

また、健康を謳っている太極拳の中にも、「氣」という言葉を巧みに用いて商売しているところが多いように思います。

やはり、というか、そのほとんどが、簡化二十四式を指導しています。

簡化二十四式は、中国国家で制定した套路です。(国家で制定、って、一体どういうこと?)

簡化二十四式をやっているから健康太極拳だ、というところがほとんどですが、どういった理論があるのでしょうか。

一部、老架を指導しているところもあるようですが、その套路動作で対人練習をしたとき、実際に技が掛かるのでしょうか。

当会も健康太極拳と称して、厚木、伊勢原で指導していますが、健康と謳うからにはちゃんとした理由があります。

特に、全ての太極拳の元である陳氏太極拳には、動作一つ一つに明確な技の理論があり、それを説明しながら対人練習をして確かめることが必須です。

太極拳は本来武術です。自分の命を掛けられるだけの技や理論を持っていなければ、誰が好んで太極拳を学ぶでしょうか。

武術としての太極拳を学べば、人体にとって自然な動きとは何かが分かり、体の反射動作を養成・促進でき、無駄な力や動作を極力失くすことができ、どうすれば最も合理的な動作となるか、だんだんと身につけ、理解出来るようになっていきます。

ですから、本来武術である動作をゆっくりと行えば、健康体操として利用できると考えているのです。(本来ちょっと違いますが、あえてこのように書いておきます)

全ての套路動作において、その要領と理論を解説でき、さらに実技で示すことが出来なければ、武術としても、健康体操としても、太極拳を教えることは不可能です。

あなたの先生が、もし「氣を練る」とか「氣を出す」とか「勁道を開く」などという奇怪な専門用語を使っていたら、それは間違いなく太極拳ではありません、スピリチュアル系のなにか、です。

どうせなら地に足をつけた本物の陳氏太極拳を学んではいかがでしょうか。そのほうが時間もお金も労力も損はしないと思います。

 

  

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