武術を習い始めた当初、「技」に対する憧れがとても強く、自分も出来るようになったら凄いなあと漠然と思っていました。
技を掛けるなんて、一体どういう感じなんだろう?と、色々と妄想していました。
今となってはあの時の妄想は全くの的外れで、アニメなどでよくある必殺技をいちいち声に出して行うような、そんなイメージを思い浮かべていました。
「北斗百裂拳…」
「ペガサス流星拳!!」
「飛天御剣流奥義!天翔龍閃!!」
私が最も憧れたのはカムイですね。
「変移抜刀霞斬り…」
いや〜、カッコイイ!!
…まあ、かなり勘違い野郎だった私ですが、実際に武術を習い出して以降も、武術に対する私の考え方はかなり勘違いが入っていました。
それは自分の考えとして以前から持っていた訳ではなくではなく、周りの意見を聞いてそう思うようになった、というものです。
例えば、
・型通りにやれば必ず掛かるとか、
・最小限の動きで身体は動かすとか、
・技に必要な筋肉だけ鍛えるとか、
・技を掛けるのに「この方向に何度」とか「ミリ単位で調整する」とか…。
まあ色々とあったのですが、出来るようになった今となっては、これら全部がかなり誤解を生みやすい(間違っている)表現だなあと思っています。
こんな考えで武術を捉えていたら、間違いなく一生、技が掛かったり掛からなかったりしますし、人が変われば根本的な技の掛け方を変えなければならなかったり、またどんな相手にでもこの技は掛かるんだ!などと勘違いしたりします。
以前の私もこんな考えになっていましたから、まあ技なんて出来ているのか出来ていないのか…、掛かったとしても何故そうなったのか…、全く理解できず何も分からず、どこまで行ってもなんとなく漠然と良く分からん…と言う状態が続いていました。結局本当に出来て分かるまではいつまで経っても何も分からず技も掛からない訳です。
鋭貫道の師匠と出会って、身体操作は自分自身の動きなのだ、と心底解った時に、初めて本当に技を掛ける稽古になり、自分の動きの追求が始まりました。
それは最初に想像していた自分の中での「型の動き」とは全く違った動きだったのですが、その自分自身の動き方が理解出来る(発見する)ようになった時、ようやく技が掛かるようになったのです。
自分の動きですからどこにも無理がなく、動きの理解は100%です。技が掛かっている感覚も頭の中の理解もしっかりしています。
掛けるべくして掛けているし、掛かるように掛けていると言うハッキリとした感覚です。
ここまで理解できて初めて「技が理解出来た」となり、掛けられるようになるのですね。
今は自信を持って教えられるようになりましたが、ここまで至るのに随分年月を掛けてしまいました。
あっ、そう言えば私が習っていた天神明神流柔術は、型稽古の時に技名を言ってから掛け始めます。
私「飛龍!」
相手「やっ!!」
私「とおっ!!」
てな具合です。
まあ稽古ですから。
今となっては妄想はありません。