私が最も尊敬する二人の剣術家

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武術を続けていると、自然と「この人のようになりたい」と思う人物が現れてきます。今回は、私が最も尊敬する歴史上の武術家、二人の剣術家についてお話しします。

まず一回目は、塚原卜伝先生です。

塚原卜伝——日本武術史上、最強の剣術家

十七歳のとき、京都・清水寺において真剣勝負を行い、勝利を収めて以来、五畿七道を旅して回りました。
真剣勝負を19回、戦場を踏むこと37回、いずれも一度も不覚を取ることなく、木刀などによる打ち合いも合わせて数百回に及んだといいますが、切り傷や突き傷を一箇所も負いませんでした。矢傷を負ったのは六箇所のみで、それ以外は一度も敵の武器に当たることはありませんでした。
およそ勝負や戦場で相対した敵を討ち取った数は、片手で数えても212人であると伝えられています。

これは人間の成し得る記録としては、ほとんど信じがたいものです。戦国時代に名を馳せた、日本武術史上屈指の剣豪——憧れない人はいないでしょう。

 

「心を新しくして事に當たれ」とはどういう意味か

卜伝先生が残した言葉の中に「心を新しくして事に當たれ」があります。これは新當流という流派名の語源になった言葉です。

私はこれを「常に、まるで新しい物を初めて見るような心で、何事にもとらわれず目の前の事に対応する」ことだと解釈しています。

剣術の実戦で考えてみると、わかりやすいかもしれません。

もし相手の剣先に意識をとられたら、相手の足が見えなくなります。もし相手の構えに意識をとられたら、背後の敵に気づきにくくなります。意識が一点に固着した瞬間、全体が見えなくなる——これは剣術に限らず、日常のあらゆる場面でも起こることです。

どんな相手が来ても、常に「心を新しく」していれば、何事にもとらわれることなく対処できる。この言葉はそういう意味だと思っています。

 

慢心という、もう一つの敵

ただ、この言葉にはもう一層の意味が隠れているのではないかと感じています。それは「慢心しないこと」です。

卜伝先生は19度の真剣勝負を無傷で生き抜きました。勝ち続けた人間が最も陥りやすいのは、過去の勝利の記憶に引きずられることです。「あの時こうやって勝った」「この技は必ず通じる」——そうした経験の積み重ねが、次の瞬間の判断を知らず知らずのうちに鈍らせていく。

毎回、まるで初めての相手に向かうように心を真っさらにする。自分のこれまでの経験にすらとらわれない。それが「心を新しくして事に當たれ」の真意ではないかと思っています。

つまりこの言葉が指しているのは、相手の動きだけでなく、自分自身の過去にもとらわれるな、ということではないでしょうか。

 

稽古の中で

212人を討ち取り、矢傷6か所のみで生き抜いた人物が最後に辿り着いた言葉が、技術ではなく心の在り方を説くものだったというのは、深く考えさせられます。
戦わずして勝つという「無手勝流」もそうです。有名な話が伝わっていますので、知らない方はどうぞ検索してみて下さい。

強さの本質は、技の精度だけにあるのではない。どんな状況でも、心をとらわれない状態に保ち続けること——それが卜伝先生の生涯が示しているものだと私は思っています。

私自身、その境地には遠く及びません。ただ、稽古のたびにこの言葉を思い返しながら、少しずつその意味を体で理解していきたいと思っています。

 

鹿島との縁

卜伝先生は常陸国鹿島(現在の茨城県鹿嶋市)の出身で、鹿島神宮にゆかりの深い人物です。実父から鹿島古流を、養父から天真正伝香取神道流を学び、その二つを融合させて鹿島新當流を創始しました。
私はかつて天神明進流柔術を習っており、今も稽古を続けています。この柔術の起源もまた鹿島です。流派は異なりますが、同じ鹿島の地に根ざした武術に親しんでいることを、不思議な縁として感じています。

 

次回は、私が尊敬するもう一人の剣術家をご紹介します。お楽しみに。