物騒で、平穏。それが武術

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強くなるとは、相手を制することではない。どんな状況でも、自分を見失わないこと——今はそう思っています。

ただ、以前の私はまったく違う考え方をしていました。
武術をやるからには強くならなければならない。どんな相手が来ても制することができる、その能力を身につけることこそが武術を学ぶ目的だと、長い間確信していました。

その考え方が、そもそも違ったのだと気づいたのはずっと後のことです。

相手を制しなくても、よく話してみれば単なる勘違いだったということがあります。実は敵など、どこにもいなかったということも。しかし「相手を制する」ことを目的として稽古していると、どこかでそういった状況を望んでいる自分がいます。自分の武術を試したい、確かめたいという欲望が、静かに育っていく。

つまり、相手を制するという考え方が、敵を作っていたのです。

その気づきがやってきたのは、稽古の中で「肚(はら)の感覚」がわかった、あの瞬間のことでした。

肚がわかってしばらくしたころ、稽古中にふとそんな思いが湧いてきました。その時は肚だけでなく、身体の真ん中に一本の柱が立ったような感覚がありました。頭のてっぺんから丹田を通り、地面へと向かって立つ柱。なんだか、自分の強さがどうでもよくなりました。

ただその柱の安心感が、心地よかった。心が落ち着き、平穏な感覚の中にいると、外の世界への警戒心がすうっと薄れていきました。周りは敵ばかりだと思っていたのに、それすらあまり気にならなくなっていた。
いつもこんな状態でいられたら、戦うことなど必要ないと思いました。
敵を作っていたのは、自分の心だったのです。

太極拳の稽古の中で、肚の感覚に出会いました。今もその感覚を求めて、稽古を続けています。

・・とはいえ、武術の稽古では相手を制する技術をしっかりと磨きます。
打撃、投げ技、関節技——物騒といえば、これ以上なく物騒です。
それでも、心の平穏と実戦的な技術が同じ場所に併存している。
これだから、武術はやめられません。

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