「護身」を中心に持ってきた意味

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昨日のブログでは、雙武會の武術を「総合護身武術」と定義し、その意味について書きました。

武術を学ぶことで、身体を鍛え整えることはもちろん、精神集中、マインドフルネス、人との関わり方、そして精神性(スピリチュアリティ)に至るまで——古来の武術が本来持っていた「生きるための総合知」へと原点回帰すること。それが雙武會の目指す姿だと述べました。

武術の「泥臭さ」を否定しない

武術を教える場では、精神性や礼儀作法が強調されることが少なくありません。どちらも大切な要素ではありますが、武術である以上、戦闘方法を身につけるという、ある種の泥臭い部分を避けて通ることはできません。

精神性に偏りすぎれば、芯の通った強さが薄まり、実用に耐えない技が平然とまかり通るようになります。礼儀作法に偏りすぎれば、それは武術でなくても学べるものになってしまいます。

武術の根幹はやはり、戦闘方法の習得にあります。

しかしそのままでは、単なる暴力の手段と受け取られかねません。強さを求めるあまり、間違った方向へ歩んでしまう危険もある。スター・ウォーズで言えば、ダークサイドに堕ちたアナキン・スカイウォーカーのように、です。

「護身」だけに焦点を当てる

そこで、たとえ武術が戦闘方法を学ぶものであっても、現代の必要性に合致した「護身」という一点に焦点を絞ってみました。

降りかかる火の粉は払う——しかし、それ以上は深追いしない。さらなる報復については、警察や司法という手段があることも念頭に置く。そもそもそういった事態にならないよう、普段の生活から危険を避ける。自らの言動や態度を俯瞰することで、争いを起こさない・起こさせない自己の在り方を常に模索する。

これらすべてが、「護身」という言葉の中に含まれていると思っています。

「生きるための総合知」としての武術

そのように考えていくと、人との関わり方を大切にすること、信仰心や見えないもの(八百万の神、自然信仰、先祖供養など)への敬意と理解を持つこと、身体の鍛錬を通じて自己理解を深めること——それらすべてが自然につながってきます。

雙武會はそれらを全て含めた、古来の武術が本来持っていた「生きるための総合知」としての「総合護身武術」でありたい。「護身」を中心に据えたことで、ようやくその言葉に確信が持てました。

言葉にして、初めて見えてきたもの

これらの哲学を、こうして文章として書き出したのは今回が初めてです。

「護身」という一点に焦点を当てたことで、考えが自然と深まり、現代における武術の在り方を自分なりに再定義できたと感じています。これらはすべて、「護身」から考えることで導かれたものでした。

この哲学を実現していくべく、これからもさらに精進してまいります。