陳氏太極拳について

陳氏太極拳の歴史

陳氏太極拳は、中国河南省温県の陳家溝に伝わる太極拳です。太極拳にはさまざまな伝説がありますが、歴史的に確認しやすい流れとしては、陳家溝の陳氏一族に伝わった武術が、現在の太極拳の大きな源流とされています。

その成立において重要な人物とされるのが、陳氏第九世の陳王廷です。陳王廷は、家伝の武術に中国武術の理論、陰陽の考え方、導引や吐納などの養生法を取り入れ、後に陳氏太極拳と呼ばれる体系を整えた人物とされています。

その後、陳氏太極拳は陳家溝の中で代々受け継がれ、陳長興の時代に大きな転機を迎えます。陳長興に学んだ楊露禅が、後に北京などで太極拳を広め、楊式太極拳を発展させました。楊式太極拳はさらに多くの人々に伝わり、そこから呉式、武式、孫式などの太極拳も形成されていきます。

つまり、現在広く知られている太極拳の多くは、陳氏太極拳を源流として発展してきたものです。陳氏太極拳は、健康法としてだけではなく、太極拳本来の武術性、重心移動、螺旋の動き、剛柔の変化を今に伝える重要な流派です。

太極拳の系譜

雙武會代表が学んだ陳氏太極拳の系譜は、次の通りです。

陳氏太極拳十七世・陳發科宗師
→ 潘詠周師公
→ 山﨑寛先生
→ 私

武術においては、どの系列で学んだか、誰から直接習ったかということが非常に重要です。上記の系譜を家族に例えるなら、曽祖父にあたる存在が陳發科宗師、祖父にあたる存在が潘詠周師公、父にあたる存在が山﨑寛先生、という関係になります。

陳發科宗師の系譜には、多くの優れた武術家がいます。その中でも、特に重要な存在として挙げられるのが、潘詠周師公と馮志強先生です。

潘詠周師公は、陳發科宗師が北平、現在の北京で教えた際の開門弟子です。開門弟子とは、師が門を開いて教え始めた初期の弟子を意味し、その流派の伝承において非常に重要な位置を持ちます。潘先生は後に台湾へ渡り、陳氏太極拳を台湾に伝え、多くの武術家を育てました。

一方、馮志強先生は陳發科宗師の関門弟子です。関門弟子とは、師が最後に取った弟子を意味し、これも中国武術の伝承において特別な意味を持つ立場です。馮先生はもともと心意拳にも深く通じ、陳發科宗師より陳氏太極拳を学んだ後、後に陳式心意混元太極拳を体系化し、世界中に多くの門人を輩出しました。

潘詠周師公が開門弟子であり、馮志強先生が関門弟子であるということは、陳發科宗師の伝承を考えるうえで非常に重要です。この二人を押さえることは、陳發科宗師の系譜を理解するうえで欠かせない視点だと考えています。

山﨑寛先生は、潘詠周師公から直接学び、その技を受け継ぎました。私は山﨑先生から直接、陳氏太極拳を学びました。また、台湾で行われた武術論壇へ参加するため、山﨑先生に同行したこともあります。

陳發科宗師から非常に近い系譜の陳氏太極拳を学ぶ機会に恵まれたことは、大変幸運なことだったと感じています。

頭套十三勢と二套砲捶

陳氏太極拳の套路は、一般には老架式、大架式、六十四式などと呼ばれることがあります。しかし、私が学んだ系譜では、套路の正式名称を「老架 頭套十三勢」としています。

頭套十三勢は、第一勢から第十三勢までで構成され、その中に六十四の式があります。陳氏太極拳では、この頭套十三勢を通じて、姿勢、重心移動、纏絲勁、剛柔の変化、発勁などを学んでいきます。

また、陳氏太極拳には「二套砲捶」と呼ばれるもう一つの重要な套路があります。二套砲捶は、ゆったりとした動きが多い老架とは異なり、より素早く、力強い動作を含んだ套路です。頭套十三勢で身体の基礎を作り、二套砲捶でより実戦的な動きや発勁を学ぶことで、陳氏太極拳への理解が深まっていきます。

正式に陳氏太極拳を深く学ぶ場合、この二套砲捶は非常に重要な位置づけにあります。老架だけでは、太極拳の静かな鍛錬面は学べても、素早い変化や実戦的な対応を十分に理解するには不十分な部分があります。そのため、頭套十三勢と二套砲捶は、互いに補い合う関係にあります。

なお、系譜や伝承によっては、「忽雷架」と呼ばれる套路を稽古する場合もあります。これは、老架・一路の動きをより素早く、力強く行うものとして伝えられているように思われます。

ただし、陳氏太極拳を武術として深く学ぶうえでは、本来、頭套十三勢と二套砲捶の両方が重要になります。頭套十三勢で身体の基礎を養い、二套砲捶で素早い変化、発勁、実戦的な動きを学ぶことで、陳氏太極拳の内容がより完整なものになります。

そのため、二套砲捶が伝わっていない系譜では、それに代わるものとして忽雷架を取り入れているのではないかと私は考えています。雙武會では、山﨑寛先生より学んだ正統な系譜を大切にし、まずは老架・頭套十三勢を中心に稽古し、段階に応じて二套砲捶へと進んでいきます。