武術というと、多くの方はまず「型」を思い浮かべるかもしれません。決められた形を覚え、先生と同じ動きを再現し、何度も繰り返すことで技を身に付けていく。実際、多くの武術や武道では、型は重要な稽古体系として扱われています。
しかし鋭貫道では、型を絶対的なものとは考えていません。
型そのものを否定しているわけではありません。型には、先人が発見した身体の使い方や、技の理合が残されています。学ぶ価値は十分にあります。
ただし、型を先に「正解」として置いてしまうと、自分自身の身体から自然に出てくる動きが制限されることがあります。
「この形でなければならない」
「この順番で動かなければならない」
「先生と同じ形になっていなければならない」
このように考えすぎると、身体は本来の感性を失い、頭で動きを選ぶようになります。鋭貫道では、この状態を良いものとは考えません。
鋭貫道が大切にするもの
鋭貫道で大切にしているのは、自分自身の身体から技を生み出すことです。
人の身体は、それぞれ違います。身長、体重、筋力、柔軟性、関節の可動域、反応の速さ、これまでの運動経験。そのすべてが違います。
同じ技を教わっても、全員がまったく同じように使えるわけではありません。ある人には自然にできる動きが、別の人には無理な動きになることもあります。逆に、一見不器用に見える動きの中に、その人にしか出せない強さが隠れている場合もあります。
だから鋭貫道では、最初から完成された形に自分の身体を合わせることを目的にしません。
まず、自分の身体を観察します。
どのように立つと安定するのか。どの方向には動きやすく、どの方向には動きにくいのか。力を入れた時に身体はどう固まり、力を抜いた時にどう変わるのか。相手と接触した時、自分の重心はどこへ流れようとするのか。
そうした感覚を丁寧に拾い上げながら、自分にとって無理のない動きを探していきます。
感性に従うとは、好き勝手に動くことではない
「自分の感性に従う」と聞くと、好き勝手に動けばよいと思われるかもしれません。しかし、それは鋭貫道の考え方とは少し違います。
感性に従うとは、思いつきで動くことではありません。自分の身体の状態、相手との距離、接触した時の圧、重心の変化、崩れの方向などを感じ取り、その場で自然に出てくる動きを大切にするということです。
その動きが本当に有効かどうかは、相手との関係の中で確認します。
自分では良い動きだと思っていても、相手に通用しなければ技にはなりません。逆に、見た目には少し変わった動きでも、相手が崩れ、こちらが無理なく動けるのであれば、それはその人の身体に合った技である可能性があります。
鋭貫道では、そこで終わりにしません。
なぜ今の動きで相手が崩れたのか。どこに力みがあったのか。どこで重心が変化したのか。どの角度に入ったから有効だったのか。
身体から自然に出た動きを、対人稽古の中で確認し、少しずつ磨いていきます。
身体から出てくるものを技にする
鋭貫道の稽古では、技を外から借りてくるのではなく、自分の身体から出てくるものを技にしていきます。
もちろん、基本はあります。構え方、力の抜き方、重心の扱い方、間合い、入り方、崩し方など、身に付けるべき要素はあります。
しかし、それらは固定された形を作るためではありません。自分の身体が自然に働くための土台です。
たとえば、相手の攻撃に対して、あらかじめ決めた受け方を当てはめるのではなく、相手の動きに応じて身体が自然に動くようにします。接触した瞬間の圧や方向を感じ取り、その力に逆らわず、必要な位置へ入る。そこから打つ、崩す、投げる、押さえるなど、その場に応じた技へつなげていきます。
この時、重要なのは「技名」ではありません。
大切なのは、自分の身体が無理なく働き、相手に対して有効に作用しているかどうかです。
型は後から理解するもの
鋭貫道では、型をまったく扱わないわけではありません。型はありますし、希望する方には伝えることもあります。
ただし、型を最初から絶対の正解として教えることはしません。
型は、動きを作るための設計図というより、後から自分の動きを理解するための地図のようなものです。
対人稽古の中で自然に出た動きが、後から見れば型の動きに似ていることがあります。その時に初めて、「この型は、こういう身体の働きを表していたのか」と理解できることがあります。
先に型へ身体を合わせるのではなく、自分の身体から生まれた動きを、後から型や理論と照らし合わせる。
この順序が大切です。
型を知らないことを未熟とは考えません。型通りに動けることだけを実力とも考えません。むしろ、型に縛られず、自分の身体と相手との関係の中で自然に技が出せるかどうかを重視します。
鋭貫道には、そのための稽古方法がある
自分の感性に従い、身体から出てくるものを技にする。
これだけを聞くと、非常に抽象的に感じるかもしれません。しかし鋭貫道には、そのための具体的な稽古方法があります。
身体の力みを抜く稽古。
重心の変化を感じる稽古。
相手との接触から崩れを感じ取る稽古。
あらかじめ決めた技ではなく、その場の状況に応じて動く稽古。
攻撃を受けてから考えるのではなく、身体が自然に反応するようにする稽古。
こうした稽古を通して、頭で技を選ぶのではなく、身体が必要な動きを出せる状態を目指します。
もちろん、最初から自由に動けるわけではありません。自由に動こうとしても、ただ雑になるだけの場合もあります。だからこそ、鋭貫道では基本を通して身体の土台を作り、対人稽古の中で少しずつ動きを洗練させていきます。
自由とは、好き勝手に動くことではありません。
自分の身体と相手の状態を感じ取り、その場で最も無理のない動きが自然に出てくることです。
その人自身の武術へ
鋭貫道が目指しているのは、全員を同じ形にすることではありません。
その人の身体、その人の感覚、その人の年齢、体力、経験に応じて、最も使いやすい技を磨いていくことです。
若い人には、若い人の動きがあります。力のある人には、力のある人の動きがあります。年齢を重ねた人には、年齢を重ねた身体に合った動きがあります。
大切なのは、他人の正解をそのまま自分に当てはめることではありません。
自分の身体を観察し、自分の感性を信じ、相手との関係の中で確かめながら、自分自身の武術を作っていくことです。
型に縛られず、しかし型を軽んじることもなく、身体から自然に生まれる動きを技へと磨いていく。
そこに、鋭貫道の技術論の大きな特徴があります。
