まっすぐに立つことの意味は

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武術には、身体をまっすぐに立てた状態で動くものが多いと思います。古流剣術や古流柔術でも、身体を大きく斜めにしたり、前傾姿勢のまま体重を掛け続けたりする動きは、あまりありません。これは陳氏太極拳も同じです。

私が習得した陳氏太極拳は、陳氏太極拳十七世・陳發科の開門弟子である潘詠周師公から直接指導を受けた、山﨑寛先生から学んだものです。陳發科の太極拳は大架式と呼ばれ、身体をまっすぐに立てて行うことが絶対です。

私は、この「まっすぐ立つ」ということの意味を、中心軸を崩さずに立つことだと考えています。

中心軸がまっすぐに立っている時、身体はどの方向にも大きく偏っておらず、余計な力を使わずに安定しています。言い換えれば、身体が一番リラックスしやすい状態です。

例えば突きを打つ時、威力を上げようとすると、つい身体を前へ倒し、体重を相手へ乗せようとします。しかし、身体をまっすぐに保ち、中心軸を立てたまま余計な力を抜いて打つと、前へ突っ込まなくても、相手の身体へ浸透していくような力を出すことができます。

しかも、自分の姿勢が崩れていないため、そのまま次の動きへ移れます。力んでいないので連打もしやすく、相手からの攻撃も見やすい。接近することも、距離を取ることも容易になり、相手から技を掛けられた時にも、身体が一方向へ固まっていないため対応しやすくなります。

身体の中に柱が立つ感覚

中心軸が立っている時、身体の中に一本の柱がまっすぐ通っているような感覚があります。同時に、肚には落ち着いた感覚が生まれ、上方向へ伸びていく感覚と、下方向へ重心が落ち着いていく感覚の両方を知覚できます。

ただし、この状態は力を入れて姿勢をつくるものではありません。

胸を張り、腹に力を入れ、背筋を固めて「正しい姿勢」をつくろうとすると、かえって身体は動きにくくなります。相手から押された時にも、力を入れている部分で相手の力をまともに受けてしまい、その場所を起点として崩されやすくなります。武術でいう「居つく」状態です。

反対に、余計な力を使わず、ただ楽にまっすぐ立つことができれば、相手から受けた力は身体の中を通り、下方向へ流れていきます。これは身体の内部を細かく操作して、意識的に力を下へ送っているわけではありません。まっすぐ立っている結果として、自然にそうなるのです。

こちらから出す力は相手へ届き、相手から受ける力は下へ流れていく。その間も、自分の姿勢は大きく崩れず、身体には余計な力が入っていないため、次の動きへ自由に移ることができます。

武術で「まっすぐ立つ」ことを繰り返し稽古する理由の一つは、こうした状態を身体に覚えさせるためではないかと思っています。

心が崩れると、身体も崩れる

そして私は、まっすぐ立つということは、身体だけの問題ではないとも考えています。

相手に技を掛けてやろう、一撃で倒してやろう、絶対に負けたくない、といった気持ちが強くなると、身体は自然に相手へ引っ張られます。前のめりになり、肩や腕に力が入り、呼吸も浅くなります。

つまり、心が相手へ向かいすぎることで、身体の中心まで相手側へ引っ張られてしまうのです。

本来一番大切なのは、相手をどうするかではなく、まず自分自身が崩れていないことです。

考えが何か一つのことに囚われている状態は、身体で言えば重心が一方向へ偏っているのと同じです。心が偏れば身体も偏り、身体が偏れば、本来持っている力を十分に使うことができません。

技を掛けたいという気持ちが強すぎるために技が掛からず、強く打とうとするほど威力が出なくなる。こうした矛盾したことが、武術では実際によく起こります。

だからこそ、相手へ何かをする前に、自分がまっすぐ立っていることを確認する必要があります。

身体の中心軸を立て、余計な力を抜き、肚を落ち着かせる。その状態で相手を見ることができれば、必要以上に相手へ意識を奪われず、状況に応じて自由に動くことができます。

まっすぐ立つということは、単なる姿勢の問題ではなく、身体を崩さず、心も一方向へ偏らせず、自分の中心にいることです。

武術が長い時間を掛けて「立つこと」を大切にしてきた理由は、そこにあるのではないかと思っています。