表に出ない武術は「存在しない」のか

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今回は、少し分かりにくい話になるかもしれません。また、多くの方に読まれるような内容でもないでしょう。

それでも、いつか書いておく必要があると考えていたことなので、現在の私の立場として記事に残しておこうと思います。

鋭貫道と影流刀道

私が継承している流派は、鋭貫道といいます。私の師匠が創始した実戦護身武術で、その技術的な起源には、無影拳という中国武術があります。また、鋭貫道の根底にある哲学は、影流刀道という剣術・居合の体系から受け継がれています。

無影拳は、もともと師匠の御尊父様が習得されたものです。師匠は幼少の頃から、御尊父様より厳しい指導を受け、その技術を身につけられました。

一方の影流刀道は家伝として伝えられてきたものであり、師匠はその体系も修めています。

無影拳そのものを伝えているところは、ほかにも存在します。ただし、私が把握している範囲では、その多くは師匠の知人や関係者につながる人たちです。

鋭貫道では、無影拳に伝わる型のうち、二つだけを稽古します。また、師匠には「実戦では型どおりに動くことはできない」という考えがあるため、入会して間もない段階から型を中心に指導することはありません。まず身体操作や技の原理を身につけ、その意味を理解できる段階になってから型を学びます。

そして、今回の話で重要になるのが影流刀道です。

この名称を聞いただけで、私たちの武術がどのような系統に関係するものなのか察する人が、ごく一部にいます。しかし、それを知っているのは限られた界隈の人だけです。一般にはほとんど知られておらず、インターネットで検索しても、その実態が出てくるものではありません。

なお、影流刀道そのものの正式な継承者は、私ではありません。私の兄弟子にあたる方が継承していますが、私はその方とお会いしたことはありません。

私が師匠から継承したのは、師匠が創始し、現代においても使えるよう再構成した実戦護身武術である鋭貫道です。この点は、誤解のないよう明確にしておきたいと思います。

公開されていない伝承を名乗ること

影流刀道や師匠に関する情報を、どこまで公にするか。その判断は、師匠から私に任されています。

それは私を信用したうえで託されたものです。そのため、ここで伝承の詳細や関係者について明らかにするつもりはありません。

今回、あえてこの話を書こうと思ったのは、私が知る伝承と同じ、あるいは非常に近い名称や内容を掲げて活動している人を、インターネット上で見かけることがあるためです。

現在は、SNSや動画を通して技術を紹介し、知名度を得たうえで、書籍や映像教材などを販売することもできます。それ自体を否定するつもりはありません。優れた技術や知識が広く伝わることには、大きな意味があります。

しかし、広く知られていることと、伝承の正当性が確認できることは同じではありません。

武術の名称や技術を掲げるのであれば、誰から、どのような経緯で学んだのか。その名称を使う根拠はどこにあるのか。少なくとも、名乗る側には、その出どころに対する責任があると私は考えています。

私が師匠から聞き、現在把握している伝承経路は、極めて限られています。ところが、公開されている経歴を確認しても、私が知る伝承との接点を見いだせない例があります。

だからといって、私が一方的に個人名を挙げ、その人物を断罪するつもりはありません。私の知らない経路が存在する可能性まで、完全に否定することはできないからです。

ただし、私が知る限りの事実と一致しないものについて、何も考えずに同じ伝承として受け入れることもできません。

そのため、「そのような活動があることは把握しており、注意深く見ている」ということだけは、私の立場として記しておきたいと思います。

表に出ない継承者たち

かつて雙武會も、積極的に存在を知らせるような活動はしていませんでした。簡単なホームページを設け、それを偶然見つけた縁のある方にだけ指導するという、非常に限られた活動を続けていました。なぜなら、実戦性が確かめられており(師匠が海外で証明済み)、その系統は歴史をたどると、ある特定の組織・団体だった為、なるべく少ない人数でこの武術を独占しようと考えていたからです。

その方針が変わったのは、2023年に私が鋭貫道を継承し、白怒火姓を襲名してからです。

私は、師匠が掲げる「犯罪被害者を減らす」という目的に賛同し、鋭貫道を必要とする人へ広く届けるための活動を始めました。

しかし、世の中には今も、私たちが以前そうしていたように、公にはほとんど姿を現さず、限られた縁の中だけで武術を伝えている人がいるのではないかと思っています。

長く受け継がれてきたものほど、必ずしも分かりやすい看板を掲げ、盛んに宣伝されているとは限りません。師から弟子へ、あるいは家族や限られた関係者の間だけで、静かに伝えられているものもあります。

もちろん、表に出ていないから本物であり、有名だから疑わしいという単純な話ではありません。大切なのは知名度ではなく、何を、誰から、どのように受け継いだのかということです。

「今は存在しない」と言い切れるのか

「影流は現在では存在しない」と主張する人もいます。しかし、その根拠として、伝承が途絶えたことを示す資料や、関係者を調査した結果が提示されているわけではありません。実際には、「自分は知らない」「現在も伝えられていると聞いたことがない」という、本人が把握している範囲だけを根拠にしているように見えます。

しかし、自分が知らないことと、存在しないことは同じではありません。特に、限られた関係者の間で非公開のまま受け継がれてきた武術について、インターネットで情報が見つからないという理由や、武術に詳しいけれど、これは聞いたことがないという自分の知識だけで、その伝承が途絶えたと断定することはできないでしょう。

また、そのような主張からは、「影流」という名称が何を意味し、影流刀道がどのような位置づけにあるものなのかを、十分に理解したうえで判断しているとは考えにくいものがあります。本当に知っているなら、この名称を聞いただけですぐに分かるものだからです。

影流刀道が何を意味し、どのようなものとして伝えられてきたのかを知らないのであれば、その人が確認できないことを理由に「現在は存在しない」と言い切ること自体に、無理があるのではないでしょうか。

一方で、存在を主張する側も、ただ「秘密の伝承がある」と言うだけで、何を名乗っても許されるわけではないでしょう。外部から検証しにくい伝承だからこそ、その名称を扱う人には、より慎重な姿勢が求められると思います。

私は、師匠から公開を許された範囲を守りながら、私が継承した鋭貫道を伝えていきます。公にできないものを、自分の権威づけのために利用するつもりもありません。

同時に、私が知る伝承と関係のないものまで、同じ系統の武術として無条件に認めることもできません。

今回の記事は、誰かと争うために書いたものではありません。受け継いだ名称と技術を扱う者として、私自身の立場を記録しておくために書きました。

表に出ていないから、存在しないとは限らない。

そして、名乗ったからといって、本物になるわけでもない。

武術の伝承において最後に問われるのは、知名度ではなく、師から何を託され、それをどのような責任を持って次へ伝えるかということではないでしょうか。