着物への憧れ

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昨日、「現代に生きるサムライ」と呼ばれる方についての記事を書きました。

その方が私の自宅から徒歩15分ほどの場所に住んでいたことに、まず驚きました。存在自体は15年以上前から知っていたのですが、どこに住んでいるのか、どのような人物なのかは、ほとんど知りませんでした。

ところが実際に話してみると、まさかのご近所さんでした。

お神輿の時に初めて言葉を交わし、次に会った時には、朝10時から夕方17時まで、約7時間も彼の部屋で話し続けていました。

出会ってまだ2回目だったにもかかわらず、昔からの知人のように話が尽きませんでした。こんな出会いもあるものなのかと、不思議なご縁を感じています。

さて、彼はいつも和装です。

今の時期であれば、夏祭りで浴衣や甚平を着ている人も多いため、それほど違和感はありません。しかし冬の街中で着物姿の人を見かけると、少し珍しく感じてしまいます。

日本人が着物を着ているのですから、本来であれば何もおかしくないはずです。

それにもかかわらず、私たちは生まれてから当たり前のように洋服を着てきました。そのため、むしろ和装の方を特別なものとして感じてしまいます。

よく考えると、不思議な話です。

かつての日本では、日本人が着物を着て生活することが当たり前でした。ところが、いつの間にか洋服が日常となり、着物は冠婚葬祭や祭りなど、特別な時に着るものになりました。

そこには歴史的、社会的な事情があるのでしょうが、私自身、これまでその変化にほとんど違和感を持たずに生きてきました。

もしかすると、自分が当たり前だと思っているものも、単に今の時代の価値観に慣らされているだけなのかもしれない。

現代のサムライと話したことで、そのようなことを考えるようになりました。

自己紹介にも書いていますが、私は比較的、伝統や日本的な文化を大切にしたいと考える、保守的な人間です。
武術を長く続けていると、技術だけでなく、その背景にある文化や身体観、歴史にも自然と関心が向いていきます。

武術を身につけるためには、何度も稽古を重ねなければなりません。少しでも技を深めようとすれば、昔の武術家がどのような生活を送り、どのような身体の使い方をしていたのかも知りたくなります。
さらに関心が広がれば、能や茶道、書道、歌舞伎、落語など、日本の伝統文化にも目が向いていきます。

それぞれは別の分野に見えますが、姿勢、間、呼吸、所作、礼法、美意識といった点で、武術と通じる部分が多々あるように思えます。

今回、現代のサムライに出会って、私が最初に思ったことがあります。

私も、着物を着て生活してみようかな。

ということです。

少なくとも戦前、さらに幕末までさかのぼれば、日本人の多くが着物を着て暮らしていました。
その服装で生活し、その服装で稽古し、時にはその服装で戦っていたわけです。

そう考えると、昔の武術の型や動作には、着物を着ているからこそ自然に生まれたものがあるのではないかと思えます。

袖の長さ、袴の広がり、帯の締め方、懐の使い方、裾さばき(←あるのかどうかわかりませんが…)。

現代の洋服とは、身体の動かし方も感覚も異なるはずです。

着物を着ているからこそ、この構えになる。
着物を着ているからこそ、この歩き方になり、この技が生まれる。

そのようなことが、きっとあるのではないでしょうか。

そうであれば、稽古の時だけ道着を着るのではなく、日常的に和装で過ごしてみることで、昔の武術家の身体感覚に少し近づけるのかもしれません。

かなり単純な発想ですが、実際にやってみなければ分からないことでもあります。

日本人が着物を着ると、身体の感覚だけでなく、心持ちにも何か変化が起こるのではないか。
少し精神論的に聞こえるかもしれませんが、私はそのようにも感じています。

今はちょうど夏祭りの季節です。

祭りで浴衣を着ることには、ほとんど違和感がありません。女性の浴衣姿を見て、魅力的だと感じる男性も多いでしょう。
男性の浴衣姿も良いものです。友人が浴衣を着ていると、普段とは違って格好よく見えますし、自分も着てみたいと思います。

つまり、私たちは着物を完全に忘れたわけではありません。
普段は着ていなくても、どこかで着物に魅力を感じているのではないでしょうか。

私の娘も着付け教室に通い、着付けの先生の資格を取得しました。
なぜ資格まで取ったのかと聞いたところ、

「着物が着たいから」

という、実に単純な答えが返ってきました。

しかし、それで十分なのだと思います。日本の文化を守らなければならない、伝統を継承しなければならないと、難しく考える必要はありません。

着たいから着る。
格好いいから着る。
美しいから残したいと思う。

そのような素直な感覚から、文化は続いていくのかもしれません。

私自身も以前から、着物を着て生活し、朝から晩まで武術の稽古をしていたいと思うことがありました。現代のサムライと出会ったことで、その思いが少し現実味を帯びてきたように感じます。

もしかすると日本人の中には、着物を着て生活してみたいという気持ちが、潜在的に残っているのかもしれません。

映画『るろうに剣心』の実写版は、漫画が原作ではありますが、よく考えてみれば時代劇です。ただし、従来の時代劇とはまったく違う、新しい形の時代劇だと思います。戦闘場面については、武術をする者として少し気になるところもあります。
それでも、主人公である緋村剣心の剣術や、新選組の斎藤一(何かとかっこいい役回りですね!)の立ち姿には、やはり格好よさを感じます。

着物姿で刀を帯びて立っている人物を、私たちはほとんど違和感なく受け入れています。それは単に映画だからというだけではなく、日本人の中に、そうした姿を自然に理解する感覚が残っているからではないでしょうか。

新年になれば神社へ初詣に行きます。
受験や試合の前には、必勝祈願や合格祈願をします。
旅行に行けば、神社仏閣を訪れます。

そのような行動を、私たちは特別な思想としてではなく、ごく自然なこととして行っています。普段は意識していなくても、日本人の中には、長い年月をかけて受け継がれてきた感覚が残っているのだと思います。

それを大和魂と呼ぶのは、少し大げさかもしれません。

しかし、理屈ではなく、何となく心惹かれるもの。抵抗なく、自然に受け入れているもの。そのような感覚の中に、日本人として受け継いできたものがあるのではないでしょうか。

そのほんの入口として、そして自分なりの意思表示として、私は着物を着てみようかと思っています。

まずは娘に相談して、どこで、どのような着物を買えばよいのか聞いてみます。

実際に着物で生活してみた時、自分の身体や武術にどのような変化が起こるのか。

進展がありましたら、またこの場所で報告します。