稽古法から考える頭部への衝撃
先日ご紹介したパンチドランカーに関する動画は、武術を学ぶ人、そして教える人にとって、深刻であり、とても重要な内容でした。
そこで、ふと疑問が浮かびました。
明治以前の日本の武術家にも、いわゆるパンチドランカーはいたのでしょうか。
ここで、私が本稿において「武術」と呼んでいるものの範囲を、あらかじめ明確にしておきたいと思います。
私がここで考察する武術とは、主として明治以前に成立し、日本独自の文化や社会の中で伝承されてきた古流武術です。明治以降、日本が近代国家へと変化する中で、競技、学校教育、体育といった目的を取り入れて成立・発展した剣道、柔道、現代の空手などは、本稿では古流武術とは分け、近代武道あるいは格闘競技として扱います。
これは、それぞれの優劣を論じるためではありません。成立した時代や社会的背景、稽古の目的が異なるものを一括りにしてしまうと、今回の問題を正確に考えることができないからです。
結論から言えば、明治以前の武術家にパンチドランカーがいたかどうかを明らかにする資料は、私が調べた範囲では見つかりませんでした。そもそも当時は、慢性的な頭部外傷を医学的に診断する方法がありません。仮に記憶障害や歩行障害などを抱えた武術家がいたとしても、それが長年の稽古によるものか、別の病気や怪我によるものかを、今から確かめることはできません。
したがって、「明治以前の武術家にはパンチドランカーがいなかった」と断定することはできません。しかし、古流武術の稽古法を考えると、現代の打撃系格闘技とは、頭部への衝撃の受け方がかなり違っていた可能性があります。
パンチドランカーとは何か
「パンチドランカー」という言葉は、もともと長年にわたって多数の打撃を受けたボクサーに見られた、言語障害、歩行障害、震え、記憶力の低下などを表す言葉でした。医学文献では1928年に初めて報告され、その後「拳闘家認知症」や「慢性外傷性脳症」などの名称で研究されてきました。
現在使われているCTE、すなわち慢性外傷性脳症は、正確には死後の脳組織を調べて確定する病理学的な診断です。生前の症状だけでCTEと断定することは、現在でもできません。
ただし、脳震盪を起こすほどの強い一撃だけが問題なのではありません。明らかな症状が出ない程度の衝撃であっても、それを長期間にわたって繰り返すことが、脳の構造や機能の変化と関連する可能性が指摘されています。
日本の武術における当身
以前、天神明進流柔術第56代の小野寺先生から、「もともとの打ち掛かりは拳ではなく、刃物によるものだった」と伺ったことがあります。
これは日本のすべての柔術に当てはまる話ではありませんが、古流柔術には、武器を持った相手を想定した形が数多く存在します。武道史の研究でも、当時の柔術の形には、武器を持つ相手に対して当身や関節技などを用い、相手を制するものが多かったことが指摘されています。
もちろん、柔術にも拳、手刀、肘、膝、踵などを使う当身技がありました。有名な柳生心眼流や諸賞流和にも当身や蹴足があります。私が学んだ天神明進流柔術も同様です。したがって、「日本の柔術には打撃がなかった」ということではありません。
重要なのは、当身の存在そのものではなく、それをどのように稽古していたかです。
古流柔術では、危険な当身技や関節技の多くが、自由に打ち合う乱取りではなく、決められた手順による形の中で稽古されていました。富木謙治は、古流柔術は主として形によって技と応用の理を学んでいたと述べています。また、当身技や関節技は、その性質上、安全に乱取りを行うことが難しいため、形によって稽古されてきたと説明しています。
つまり、攻撃を実際に頭部へ何度も当て、その衝撃に耐えることを目的とした稽古ではなかったと考えられます。
「当たれば斬られたも同然」という感覚
刃物を想定する場合、相手の攻撃を何度か受けながら前へ出るという考え方は成立しにくくなります。一度でも攻撃を受ければ、そこで致命傷になりかねないからです。
そのため、攻撃に耐えることよりも、攻撃線から身を外す、間合いを変える、相手の体勢を崩す、武器を制するといった技術が重視されたのではないかと私は考えています。
合気道などで手刀を刀になぞらえて説明することがありますが、これも単なる比喩ではなく、攻撃を軽く扱わないための考え方なのかもしれません。
「多少当たっても構わない」という前提と、「当たれば斬られたも同然」という前提では、戦い方だけでなく、稽古の作り方そのものが変わります。
後者では、頭部への打撃を繰り返し受けることを、上達のために必要な負荷として組み込む理由がありません。危険な攻撃だからこそ、実際には当てず、形の中で攻撃線、間合い、身体操作を学ぶことになります。
このような稽古構造であれば、現代のボクシングやキックボクシングなどと比べて、反復性頭部衝撃を受ける機会は少なかった可能性があります。
ただし、古流武術に危険がなかったとは言えない
古流武術の稽古で頭部への打撃が少なかったとしても、それだけで脳への危険がなかったとは言えません。投げられて頭を打つ、受身に失敗する、武器や稽古道具が頭に当たるといった危険は、当然あったと考えられます。
また、江戸時代後期には、防具を着けて竹刀で打ち合う撃剣や、柔術の乱取りも発達しました。明治以前の武術が、すべて静かな形(型)稽古だけで行われていたわけではありません。
さらに、記録が残っていないことは、症例が存在しなかった証明にはなりません。当時、何らかの症状を抱えた人がいたとしても、加齢、酒、性格の変化などとして扱われていた可能性があります。
それでも、現代の打撃系格闘技のように、頭部への攻撃を実際に受け、その衝撃に耐えながら打撃を応酬することが、古流武術の中心的な稽古法であったとは考えにくいのです。
武術の稽古から学べること
ここまで調べてみて、古流武術の稽古法には、現代の私たちが改めて考えるべきものがあるように思いました。
危険な技を学ぶために、毎回その危険を身体で受ける必要はありません。
相手を倒す技を稽古することと、稽古相手の身体を壊すことは別です。技の意味を失わない範囲で攻撃を制御し、形、ミット、受け側との約束、段階的な対人稽古などを組み合わせることで、頭部への衝撃を減らしながら学ぶ方法はあります。
特に指導者は、「強くなるためには打たれることも必要だ」「これくらいは我慢しなければならない」という感覚を、一度立ち止まって見直す必要があると思います。
頭部への衝撃は、根性を鍛えるためのものではありません。痛みに慣れることと、脳が損傷を受けないことも別の話です。
明治以前の古流武術家にパンチドランカーがいたのか。その問いに、今の段階で明確な答えを出すことはできません。
しかし、古流武術では危険な当身を形として伝え、実際の衝撃を繰り返し受けることとは切り離して稽古していた。この点については、歴史資料からも一定の裏付けがあります。
危険な技を、危険なものとして理解しながら、安全に稽古する。
それは近代化によって捨てるべき古い考え方ではなく、脳への危険性が明らかになりつつある現代だからこそ、見直す価値のある武術の知恵ではないでしょうか。

