鋭貫道は、私の師匠が創始した現代の徒手格闘武術です。
中国武術である無影拳と、師匠の家伝の武術をもとに、師匠自身の経験と研究によって新しくまとめられました。源流は古くから伝わる流派ですが、現代に生きる人間のためにつくられた武術です。
そのため、鋭貫道では、昔の武術家と同じ姿をすることを求めません。着物を着たり、帯を締めたり、特定の道着を身に着けたりすることもありません。服装に決まりがないわけではありませんが、伝統的な外見を再現すること自体を、武術の本質とは考えていないからです。
現代に残る武術の多くは、武士の時代に生まれ、育まれてきたものです。そのため、当時の生活環境や服装は、武術の成立背景だけでなく、身体操作を理解する上でも欠くことのできない要素です。
一方、無影拳や師匠家伝の武術は、成立当時の服装をそれほど強く考慮する必要のない体系です。その理由については、ここでは詳しい解説を省きます。
鋭貫道が目指すのは、昔の姿を受け継ぐことではなく、現代に生きる自分自身の身体で、武術を成立させることです。
他人の動きを真似ることから離れる
師匠からは、次のような言葉を聞いてきました。
「人がつくったものであれば、自分にもつくることができる」
「古いからといって、必ずしも良いものとは限らない」
「他人の技を真似しても、所詮は他人の技である」
これらの言葉には、伝統や先人を軽んじるという意味はありません。誰かがつくったものを、そのまま正しいものとして受け入れるのではなく、自分自身で確かめ、考え、自分の身体に合う形へ育てていくことが大切だという教えです。
人の身体は、一人ひとり違います。身長、体重、骨格、筋力、柔軟性、反応の速さ、これまで経験してきた運動も異なります。
それにもかかわらず、全員が同じ形を再現し、同じ動きを正しいものとするなら、どこかに無理が生じます。師範や先輩の動きをどれだけ上手に真似ても、それが自分の身体で実際に使えるとは限りません。
鋭貫道では、教えられた動きをそのまま完成形とするのではなく、その原理を理解し、自分の身体ではどのように使えるのかを探っていきます。つまり、完成された型を基準に稽古するのではなく、型になる以前の「一定の形」や「基本動作」をもとに、それぞれが自分の動きをつくり上げていくのです。これが、鋭貫道の大きな特徴の一つだと思います。
型を覚えることを目的としない
鋭貫道には、無影拳に由来する二つの型があります。しかし、型を覚え、正確に再現することが稽古の中心ではありません。
希望があれば型を学ぶことはできますが、鋭貫道が目指しているのは、型どおりに動ける身体ではなく、自分の意思に応じて自由に動ける身体である、という考え方です。
型には、先人が残した身体操作や戦い方が含まれています。その価値を否定するつもりはありません。ただし、型を守ることが目的になると、「この形が正しい」「その解釈は違う」といった議論が起こりやすくなります。
武術経験者であればよくご存じだと思いますが、同じ型であっても、流派や指導者によって使い方が違い、同じ流派の中でも解釈が分かれることが多くあります。それ自体は、武術が長く伝わる中で生まれた研究の結果でもあるでしょう。
しかし、鋭貫道では、型の違いや解釈の違いによって、他者の動きを否定する必要がありません。なぜなら、これと言って決まった型がもともと無く、其々が自らの型を作っていくからです。
同じ原理を使っていたとしても、現れる形は人によって変わると考えています。その人の身体で無理なく使え、相手や状況に対応できるのであれば、それがその人にとっての正しい動きになります。
自分自身の動きを追求する
これまでの説明でお気づきでしょうが、鋭貫道では「自分の技は自分でつくる」という教えがあります。これは、思いつきで技をつくればよいという意味ではなく、自分自身をよく観なければならないということです。
自分の身体はどこまで動くのか。
どのような動きが得意なのか。
何を苦手としているのか。
力が入ると、どこが固まるのか。
恐怖や焦りを感じた時、身体がどのように変化するのか。
これまで身に付けてきた動きの中で、何が使えて、何が邪魔になっているのか。
こうしたことを稽古の中で繰り返し確かめ、自分の身体を理解していきます。
同時に、相手についても研究します。体格や力、速度、距離、癖が違う相手に対して、自分の動きがどこまで通用するのかを試し、通用しない部分があれば修正します。
自分の長所だけでなく、弱点や限界も知り、それに対する方法を考えておくことが必要です。
自信とは、自分は何でもできると思い込むことではありません。自分が何をできて、何ができないのかを知り、その上で十分に準備してきたという感覚だと思います。
相手が大きい、力が強そうだ、武術歴が長いといった情報だけに呑まれないためには、普段の稽古で不安の原因を一つずつ減らしていくしかありません。
現代の人間が学ぶ、現代の武術
現代の私たちは、日常生活で着物を着ることも、刀を差して歩くこともありません。身体の使い方も、生活環境も、昔とは大きく変わっています。
その現代人が武術を学ぶのであれば、昔の姿をそのまま再現するだけでなく、今の身体、今の服装、今の生活の中で使える形へ変えていく必要があるのではないでしょうか。
鋭貫道は、完成された形を守り続ける武術ではありません。師匠が見つけた原理と哲学を受け取り、それを一人ひとりが自分の身体で確かめ、自分の動きへ育てていく武術です。
他人と同じである必要はありません。
型に自分を合わせる必要もありません。
解釈の違いを理由に、誰かの動きを否定する必要もありません。
何かを上手に真似るのではなく、自分自身をよく観て、自分の中から生まれる動きを追求する。
それが、師匠がたどり着いた鋭貫道の哲学です。
私は、この考え方こそ、現代における武術の一つの在り方ではないかと思っています。
昔の形を保存することも大切ですが、武術が今を生きる人間の身体の中で、新しく生まれ続けることもまた必要です。
鋭貫道は、自分の身体を知り、自分の技をつくり、自分自身の武術を育てていくための稽古です。
決められた形を覚えるだけではなく、自分に合った身体の使い方を深く研究したい方は、ぜひ一度、体験へお越しください。

