雙武會の根幹にある思想

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「雙武會では、なぜ鋭貫道だけでなく、剣術も柔術も武器術も太極拳も教えているのですか?」
こう聞かれることがあります。

確かに、初めてホームページをご覧になった方は、不思議に思われるかもしれません。一見すると、色々な武術を集めた道場のように見えるからです。

しかし、私の中では全て一本の線で繋がっています。その根幹にある問いは、とてもシンプルです。

「人間にとって最も自然で合理的な身体の使い方とは何か。」

私は長年、この問いだけを追い続けてきました。
若い頃の私は、今とは少し違う考え方をしていました。当時は、とにかく誰よりも強くなりたかったのです。試合で勝つことではありません。実際の戦いになったとき、自分が生殺与奪権を握る側になりたい。極端に言えば、そこまで考えていました。

そのためには、最も合理的な身体操作を身につければよい。そう考え、武術の研究を始めました。

最初は「型」を重視していました。
正しい型を身につければ、正しい身体操作が身につく。では、その正しい型を持っている武術は何なのか。日本の武術なのか。中国武術なのか。あるいは別の流派なのか。そんなことを考えながら、剣術、柔術、沖縄空手を学びました。

そして、さらに身体の奥深さを知るため、以前から興味のあった陳氏太極拳を学び始めます。ここで私の武術観は大きく変わりました。太極拳では、丹田、中心軸、重心、身体感覚など、身体内部の感覚を非常に重視します。最初は技を覚えるために始めた武術でしたが、次第に興味は「相手」ではなく、「自分の身体」へ向かうようになりました。

骨盤はどうあるべきなのか。股関節はどのように働くのか。重心とは何か。力とは何か。力まないとはどういうことなのか。私は様々な仮説を立て、実際に試し続けました。

例えば、骨盤は立てるのか、入れるのか。ベタ足なのか、母指球で立つのか。身体を合理的に動かすのか、それとも自然な動きに任せるのか。一つひとつ身体で検証し、自分なりの結論を積み重ねてきました。現在も修行は続いています。

特に今は、「力を全く使わない身体」について学んでいます。こういうと少し誤解が生じますので、言い換えますと「力感を全く伴わない攻防の実現」です。
力を入れない。力まない。力の発生源すら作らない。そんな身体操作が、本当に可能なのか。
それを実際の武術として成立させることが、現在の私の大きな課題です。

そして最近、一つ思うことがあります。若い頃の私は、「最強」を目指していました。しかし、長年武術を続けてきた今、求めていたものは「力」ではなかったように思います。

本当に求めていたのは、自然体、だったのではないかと。

心は平穏で、身体はいつも力まず、どんな状況にも自然に対応できる。そのような人間の在り方こそ、本当の意味で強いのではないか。私は現在、そのように考えています。

以前もブログで紹介しましたが、私が最も尊敬している剣豪は、塚原卜伝先生です。

先生が説かれた活人剣とは、「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」と説いたと言われています。その解釈にはいろいろな説がありますが、その境地は、究極の自然体にあるのではないか。私はそう考えています。

だから雙武會では、様々な武術を学びます。しかし、武術を増やしたいわけではありません。技を増やしたいわけでもありません。その全ては、人間にとって最も自然で合理的な身体の使い方とは何か。この問いを探究するためです。

雙武會の武術は、流派が主役ではありません。技が主役でもありません。主役は、人間そのものです。私はこれからも、この問いを追い続けていこうと思っています。